去年僕はオクトチャットというサービスを作った。そして、それを2019年始めに公開したのを最後に、今年は受験などで忙しいので何も作らないようにするつもりだった。それどころではないだろう、と思っていた。
──はずなのに。
なぜか今年も色々な物を作ってしまった。もしかすると去年よりもたくさん。あまり一つ一つに時間をかけられなかった分、ポコポコしたものがたくさんできた気がする。
これは仕方なかった、そう、仕方なかったのだ!
不可抗力だった。物作りは自分にとっての呼吸のようなもので、作らなければ死んでしまうのだ。何かを作らないと怖いし、しんどいし、何より脳の容量が圧迫されていくのを感じる。物事に集中できなくなる。地上に打ち上げられて死を待つ魚のような気持ちになる。
物作り中毒とでも言うべきだろうか。
正直、自分でも少しおかしいというか、病的な気はする。なるほど、そういう人間なのかもしれない。だが、それでいいのか?都合のいいように考えすぎではないか?
もっとよく考えるべきだ。
Twitterプロフィールの一番最初に書いてある「作るの大好き」という言葉。
どうして自分は物を作ってしまうのか。思いつく限りの言い訳を考えることにした。
自分にとって、「作る」とは何を意味しているのか。
Webサービスを作ることか?いや違う。自分はWebサービスが作りたいわけではない。
確かにWebが大好きで、今はWebにしか関わっていない。でも、Webエンジニアになりたいわけではないし、難しいことに挑戦したいという気持ちなどさらさらない。
Webサービスを作ること。絵を描くこと。曲を作ること。小説を書くこと。ゲームを作ること。
実現できるかは置いといて、これらは一様に大好きで、どれも同じ「作りたい」という気持ちがある。
より正確に書くなら、「創りたい」という気持ちだ。
自分には三信条がある。「創る、伝える、幸せにする」だ。
中学生のときに考えた。これは、自分の生きる指標であり、自分の考える正義である。
「創る」は、文字通りCreateのことだ。Makeとはやや趣旨が異なる。
無から有を生み出す作業。世の中にないものを作り出すことだ。
「伝える」は伝達すること。自分の意見をごまかしても相手には伝わらないのだから、まずは相手に自分の素直な気持ちを伝えろ、誤解させるな、という意味だ。
「幸せにする」はそのまんまである。困難に直面したとき、選択肢を天秤にかけ、どちらがより多くの人を幸せにできるかを考えろ、という意味だ。
つまり、自分の「作りたい」という欲求は、一番最初の「世の中にないものを作り出すこと」への欲求に違いない。
本題に入る。
それを言ったらおしまいだ!!
と思ったが、よく考えると少し違うかもしれない。
確かに、差し迫った現実から逃れるために、物を作ることは多い。
現実がしんどければしんどいほど、物作りは捗るものだ。締め切り前に何かを作り始めると、夢中になって課題のプレッシャーなどすっかり頭から消え去ってしまう。
だが、幼いころを思い返すと、現実で特に逃げたいことがあったわけではないのに、何かを作り続けていた。保育園、小学校の休み時間、学童。特に課題に追われることもなかったから、何でもできた。
そう考えると、やはり物作りは現実に左右されない麻薬のようなものなのだろうか。現実逃避が目的ではないが、現実逃避の役には立っている。
自分は昔から物事を記憶するのが苦手だった。
人の顔を覚えられない。名前、誕生日、どれも中々覚えられない。数学の公式、英単語、過去のことから未来の予定まで、頭の中に残っていることはまずない。
自分の頭の中はハンガーフックのようになっていて、考えていることをそこに引っかけておくのだが、すぐに忘れてしまうので、常に頭の片隅に意識し続けなければならない。だが、このフックは脳のメモリーを占めてしまっていて、これが本当にストレスで、とにかく頭の中は自分の考えたいことだけが占めるようにしたいのである。
例えば、生きる意味について考えているときに、帰ってからするタスクに頭を奪われるのが許せるだろうか?だったらメモに書いて記憶から消したほうが得策である。というか、放っといたら生きる意味について考え始めてしまい、タスクのことはすっかり忘れてしまうので、メモしなければならないのだが。
さらに、考え事というのは連想ゲームのようなもので、どんどん別のことを考え始めてしまう。困ったことに、生きる意味について答えを見つけたとして、そのまま次のことを考え始めると、さっきと同様にしてその答えは頭から消えてしまう。だから、覚えておきたいなら、メモするか、次のことを考えるのをやめてフックに引っかけて忘れないように唱え続けるしかない。
これは考え事のメモばかりの話ではない。アイディアにしても同じなのだ。
自分の思いついたアイディアが、外部(現実)に存在していなければ、自分がそれを記憶していなければならない。ところがアイディアというのは自然に湧き出てくるものである。自分がそれを止める術はない。そして一度思いつくと、それが世の中に存在していないことがどうにも耐えられなくなる。そして脳にフックで引っかかったまま、解放できないモヤモヤが残る。
悲しいことに、そのアイディアを捨てるだけの勇気もないのだ。中途半端に忘れて、ふと思い出した時、うまく思い出せなくてそれが逆に気になって、さらにモヤモヤが深まることは間違いない。
だから少なくともメモはする。同時に連想ゲームが始まって、仕様も大体そのとき作る。ある程度、そこで忘れてしまうことへの恐怖とストレスからは解放される。
で、だ。アイディアがあり、仕様がある。逃避したい現実もある(無くてもよい)。作れるだけの技術的目処が立っている。
少し手を動かすだけでこの想像は実体化され、脳から解放される。さもなくば現実に出力されるまでずっと脳に保持していなければならない。放っておくと時間経過で積み重なっていくストレス、使える分が減っていく脳のメモリー。…どうして作らない理由があるだろうか??
・・・と、こんな感じで、気が付いたらアイディアがまた一つ形になっているのである。
考えていることを形にすることで、溢れかえる脳を解放していると言っていい。これは生きるために必要なことであり、呼吸と同じ、努力してすることではなく、むしろしないと息が詰まって死んでしまう、そういう類の作業。
これを、もっとラフに言うなら「ストレス発散」なのである。
こんな基本的なことでも、丁寧に振り返らないと自分でもわからないものだ。やりたくなくてもやってしまう理由を考えていたから、ある意味無意識的なもので、仕方ないのかもしれない。
誰かにちやほやされなくてもいい。目的論も何も要らない。自己完結するルーティーン。
ただ、まあこんな感じで意識低めでやってるもんだから、デメリットもある。
それは、他人が先に作ってしまうとモチベがゼロになること。実在しないものを実在させるために作っていたのだから、他人が作ったらその時点で自分の動機は達成されてしまう。作りかけの時間が無駄になるのは嫌なので、そうならないようにさっさと仕上げるか、そういうときは見なかったことにして自分の分を急いで完成させるか、で何とか凌いでいる。
自分は、アイディアを忘れたくないから、逐一形にしている。形にする作業は没頭でき、それが完成することで、脳が解放され、ストレス発散することができる。
記憶したくないから物作りとは、随分と変な過程である。これもこじつけなのだろうか?
いや、昔の自分も作ったものを壊したくなかった。ずっと残しておきたかった。記憶の記録として。きっと、昔からそうだったに違いない。思いついたことを友達に話し、先生に話し、誰かに話すか書き残して、自分の記憶を残そうとしていた気がする。
少し前にTwitterに投稿したことがある。
自分は死んだあともアカウント遺っててほしいなぁ…自分の考えてることが他人に伝えられないといつも感じてるせいかな、自分の思考の全てが外部に記録されていてほしいんだよね
— ウラル (@barley_ural) November 27, 2019
やっぱり存在への執着なんだろうなぁ、モノが存在しているかしていないかがすごく大切に感じていて、自分という存在が確実に証拠として残っていることに執着があるんだろな…
— ウラル (@barley_ural) November 27, 2019
過去の自分が嫌いでもあり愛おしくもあって。その瞬間の自分は別の一瞬の自分とは完全に別人だと思ってるから、過去に自分が別人であったことを残しておかなければその自分は死んでしまうから、ありとあらゆる自分の欠片を寄せ集めて取っておきたい、そんな感じ
— ウラル (@barley_ural) November 27, 2019
自分は過去の自分とは違う人間だ。字も違うし考え方も違う。思い込みで怒ることなく、まずは受け容れることを大切にしようと思って、柔軟に自分自身を変えてきたと思う。でも、そのときその瞬間考えていたことは、事実であり、誰も否定できないものであり、なおかつ自分の記憶の中にしか生きることができない。だから、自分は過去の自分を大切しているし、絶対に忘れたくない。醜い姿も、ダメな自分も、全部全部実在した自分だから。
自分が存在した理由を確かに証明してくれるのが制作物であり、創作物であって、それは自分自身にしか残せないのである。
だから、私は創作をする。物を作る。
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