記事のタイトルが物々しい表現になっていますが、本文はゆるい感じで書きます。油断すると物々しくなるかもしれないです。論理的な誤りや曖昧な表現ができるだけ入らないようにしようとするためです。ただ、文体が物々しくなってしまっては、その文章を読むための認知負荷が高まってしまい、意図せず読者を限定してしまうので、それは避けたいところです。というこの文自体が物々しくなってしまっています。
言い換えます。なんか難しいっぽい感じで書いても、「ゲームを作りたい!」と思っている多くの人に内容を届けられにくくなるので、ゆるふわっぽい感じで書きたいです。(「誰のための文章なのか」ということをよく考えたいです)(ゆるふわっぽく書けるとは言っていない)(ここでいう「ゆるふわっぽく」とは「曖昧な概念を使う」ということではないが、「ゆるふわ」自体が曖昧な概念でありパラドックスを生む)
内容の不備があったらご指摘いただけると幸いです。
念のため説明しておきますが、本記事における「デザイン」という言葉の意味は「設計」つまり「ものごとの内容を考えて決める行為、またはその成果物」として用います。
よって本記事における「ゲームデザイン」という言葉は、「ゲームの内容を考えて決める行為、またはその成果物」を単純に指し、「ゲームデザインとはかくあるべきである」「本物のゲームデザインとはこうである」のような説得的定義は含みません。(「偽物のゲームデザイン」ってなんだろう🤔)
「期待される成果が生まれるゲームデザイン行為、またはその成果物」を指す場合は「良いゲームデザイン」という言葉を用います。
いきなりゆるふわ感のない説明でごめんなさい。
「よし、ゲーム作るぞ」と意気込んだはいいものの、ゲームの実装をする前に「どのような内容のゲームにするのか」を考えて決める必要があります。
これは、実装前にゲームのすべての仕様を決めてから実装に取り掛かる場合だけでなく、実装をしながら仕様を決めていくような場合であっても「とりあえず、次に何を実装するのか」を考えて決めなければ、その「とりあえず次に実装するもの」の実装に取り掛かることができません。そのため「ゲームデザイン(ゲームの内容を考えて決める)」という行為において「具体的に何を考えて決める必要があるのか?」という問いに答える内容は、ゲームデザイン行為への指針となり、経験と勘に頼らないゲームデザインを行うための道具となります。
物事を具体的に捉えようとする場合、その物事を構成している要素が何なのかを明らかにすることが、その物事を詳しく知ることの手がかりとなります。つまり、その対象を”分解"します。
ということで、「ゲームデザインは、何をデザインする行為で構成されているのか」という”分解”を行うことが「ゲームデザインとは、具体的に何を考えて決めることなのか」について明らかになることに繋がりそうです。
まずはその取っ掛かりとして「ゲームを構成する要素」の分解を試みた事例から、それをデザイン要素として捉えることができるのかについて考えてみます。
ゲームを構成する要素の分解を試みた事例があり、それぞれが今回の目的である「ゲームデザインは、何をデザインする行為なのか」を詳しく知るための枠組み(要素の集まり)として利用可能かどうかを検証します。
達成したいことは「ゲームの内容を考えて決める、という行為が、具体的に何を考えて決める必要があるのかを明らかにして、ゲームデザイン行為の円滑化を促すこと」です。わかりやすい言い方をすると「ゲームの内容を考えて決めるときに、何をすればいいのかわからなくなって迷わないようになること」です。
そのために必要なゲームデザインの枠組みを評価する基準として、以下のものを考えます。
基準 | 説明 |
---|---|
デザイン可能性 | 要素それ単体が具現化可能なデザイン対象であるかどうか |
適度な粒度 | デザインの対象として、実用的なレベルまで分解された粒度かどうか |
ゲーム制作は、デザイン(内容を考えて決める行為)をしたあとに実装、つまり具現化をします。例えば「制限時間3分で試合終了」というルールをデザインした(考えて決めた)あとに、実際にそのルールをプログラムで実装することができます。そのため、デザイン対象となる要素の内容を考えて決めたあと、その内容を実装、具現化することが可能であることが必要です。
もし、ゲームデザイン要素として挙げられている要素がデザインの対象ではなく成果物の「属性」や「性質」「特徴」を指している場合は、それ単体で実装、具現化をすることができません。例えば、極端な例を挙げると「面白さ」や「すごさ」のような概念や属性のような要素は、成果物の性質、特徴であって、デザインの対象ではありません。(「面白さ」や「すごさ」そのものを単体で実装できない)
各要素がデザイン対象として適度な粒度かどうかを考えます。
デザイン対象となる要素の粒度が荒い(抽象度が高い場合)は、デザイン行為の際に「迷い」が発生しやすいです。「迷う」ということは、さらに分解されるであろう要素が曖昧に想像されるがゆえであると考えられます。例えば「雰囲気」をデザインする、と考えても「雰囲気に影響するのは外観?絵柄?音楽?文字?セリフ?書体?エフェクト?トランジション?ロード時間?操作方法?テンポ感?手触り感?エモさ?キャラクターの生い立ち?これら全部?それとも関係ないのもある?まったくわからん」というように、迷いと混乱が生まれます。
補足ですが「抽象的であること(具体化の余地があること)」と「曖昧であること(複数の異なる意味で捉えられること)」は、カッコ書きで示しているように意味が違い、上記の説明では「抽象的すぎるかどうか」を評価するという説明ですが、「曖昧であるかどうか」は説明していません。ただ、上記の例で示した「雰囲気」に関しては「曖昧である(人によってその意味・内容について異なる解釈をしている可能性がある)」という問題はあります。
次に、ゲームデザインの内容が強く制限されてしまうような要素は、粒度として「細かすぎる」(概念として具体的すぎる)と評価できます。例えば「プレイヤーキャラクターの髪の毛の色」という要素は「プレイヤーは髪の毛を持っている何か生き物のキャラクターである」という、すでにデザイン済みの制限をかけています。このような場合は、例えば「プレイヤーキャラクターはロボットにする」という対応ができませんし、さらに「プレイヤーキャラクターなる概念の存在しない、風景が移ろいゆくゲーム」のようなゲームもデザインできません。(実際、「シムシティ」なんかはプレイヤーキャラクターなんて居ませんよね)
島国大和さんが「不毛ながらゲーム性の定義 島国大和のド畜生」というブログ記事の中で「ビデオゲームを構成する3つの要素」という項目を扱っています。
そちらで説明している構成要素とその内容の説明を表にしたものが以下のものです。
構成要素 | 要素がもつ共通な性質の説明(内包) | 具体例(外延) |
---|---|---|
システム | ゲーム全体の仕組み | なし |
フレーバー | ゲームの雰囲気周辺 | 「猿が踊る」「ロシア民謡が流れる」「世界観」 |
ボリューム | ゲームの物量 | 「全部で100面ある」「総プレイ時間200時間」「モンスターが151匹」「クエスト1000個」 |
この分類が、今回の目的である「ゲームデザインは、何をデザインする行為なのか」を詳しく知るための枠組みとして十分に利用可能かどうか、を考えてみます。
この枠組を素直に使う場合、ゲームデザインという行為は「システムをデザインする」「フレーバーをデザインする」「ボリュームをデザインする」という3つのデザイン行為が含まれることになります。
上記のブログ記事では「システムはゲーム全体の仕組み」と説明され、その一部に「ゲームのルール」がある、と説明されていました。ベン図を使って包含関係を示すと以下のようになります。
つまり「システムをデザインする行為」とは「ゲームのルールをデザインする行為」と「ゲームのルール以外のシステムをデザインする行為」の2つに分類されることとなります。
しかし、上記記事では「ゲームのルール以外のシステム」が何を指しているかの説明が無かったため、「ゲームのルール以外のシステムをデザインする行為」が何を意味するのかについて詳しく検証することができません。
TODO: ゲームのルールについて
上記の「フレーバー」の説明は「ゲームの雰囲気周辺」となっており、具体例は「猿が踊る」「ロシア民謡が流れる」「世界観」が挙げられていました。
「ゲームの雰囲気周辺」という説明のみから何をデザインするのかを考える場合「ゲームの雰囲気となるもの」と「ゲームの雰囲気とならないもの」の境界を探ることになります。
ブログ記事では、対極の例、つまり「フレーバーが無い場合」の説明と思われる例として
インベーダーゲームも、敵も味方も四角形で表現したとしてゲームとしては成立するが物足りない。
を挙げています。つまり「敵も味方も四角形で表現した場合」は「フレーバーが無い」状態であるとして説明しており、実際の「スペースインベーダー」では、プレイヤーは「レーザーを撃つ砲台」、敵は「宇宙人」を模しているとされています。
例として挙げられる「猿が踊る」「世界観」「レーザーを撃つ砲台」「宇宙人」という具体例それぞれがもつ共通の性質として考えられるのは、それらが「虚構世界(フィクション)上のもの」であるという点です。つまり、少なくとも「虚構世界(フィクション)をデザインすること」は「フレーバーをデザインすること」に含まれると考えて良さそうです。
一つ、「ロシア民謡が流れる」に関しては排除して考えていました。「ロシア民謡が流れる」は「テトリス」の例であり、ゲーム中に流れるロシア民謡はBGMであるため、それは「虚構世界(フィクション)上の出来事」ではありません。もし、それが「虚構世界(フィクション)上の出来事として流れる音楽(例えば「音楽プレイヤーを持ったキャラクターが登場して、再生ボタンを押した」など)」であるならば、その音楽も「虚構世界(フィクション)」の要素として考えて良いです。
BGMは文字通り「それはBGMというものである」とするなら、ここで言う「フレーバー」を構成する要素は「虚構世界(フィクション)」と「BGM」となり、以下の図のようになります。
「虚構世界(フィクション)」と「BGM」の抽象度が異るためか、いびつな印象があります。
「ボリューム」は「ゲームの物量」と説明されており、具体例として「ステージ数の多さ」「プレイ時間の長さ」などが挙げられています。
まず「あるデザイン対象の要素の種類の数をどの程度の量にするのか」という意思決定は「ゲームの内容を考えて決める行為」に含まると考えて良さそうです。
しかし、例で挙げられている「ステージ数」「モンスターの数」「クエストの数」は、それぞれ全く同じ内容のコピーが数多く作られるわけではありません。ここで言う「ボリューム」が意味するところとして重要なのは「その数」ではなく「様々な異なる種類がある」という点であると考えられます。そのため、ゲームデザイン要素の呼び名としては「ボリューム」というより「多様性(バラエティ)」とした方が、より体をなしていると考えられます。
島国大和さんの「ビデオゲームを構成する3つの要素」で挙げられた内容から読み取れる、ゲームデザインの対象となる要素には以下のものがありました。
次で、ゲームデザインの枠組みとして利用可能かどうかについて考えます。
「ボリューム(バラエティ)」に関しては、これはデザイン対象ではなく、デザインの成果物が持ちえる属性であるため、ゲームデザイン要素として利用できません。
ボリュームを「量」として捉えた場合は、成果物の「量」という属性となり、「量」そのものは(単独で)デザインできません。ボリュームをバラエティ(多様性)と捉えた場合も、成果物が様々な種類を持っているかどうかという「属性」であり、バラエティ(多様性)そのものは(単体で)デザインできません。
「ゲームのルール」「虚構世界(フィクション)」「BGM」は、デザイン対象であると言えます。
それぞれの要素が適度な粒度であるか考えます。
もし、「ゲームのルール」を考えて決める必要に迫られた場合、ルールの何をまず決めたら良いのか、そもそもルールとは何か、という迷いが発生しそうです。「ゲームのルール」を手際良くその内容を決められる場合は、そのとき理解している「ルールを構成する要素」を基準に決めていると思われます。つまり「ゲームのルール」という概念は、デザイン対象の要素としてさらに分解できる余地を残していることになります。
「虚構世界(フィクション)」「BGM」も同様で「虚構世界(フィクション)を構成する要素」に分解できる余地を残しているように思います。ただ「BGM」に関するデザイン要素は、突き詰めると楽曲制作の専門的知識に関わる要素まで掘り下げられそうですが、あくまでゲームデザイン行為としての範疇としてのデザイン要素としても、まだ分解はできそうです。つまり、ゲームデザインという行為において「BGM」の何を考えて決める必要があるのか、という点です。
「ボリューム」は、そもそもデザイン対象ではないので、粒度を検証できません。
「ビデオゲームを構成する3つの要素」(4つになりましたが)の評価結果は以下のようになります。
デザイン要素 | デザイン可能性 | 適度な粒度 |
---|---|---|
ゲームのルール | ◯ | ✕ |
虚構世界(フィクション) | ◯ | ✕ |
BGM | ◯ | ✕ |
ボリューム(バラエティ) | ✕ | - |
概ねデザイン可能性に関しては問題ありませんが、粒度がまだ荒いです。これは、この枠組みが優秀ではないということでなく、あくまでデザイン行為を円滑化するための枠組みとして利用するには難がある、ということです。
ゲームにおける「システム」と呼ばれるものに関して、下田賢佑さんが解説をしていました。島国大和さんの「ビデオゲームを構成する3つの要素」の「システム」と同じものを指している言葉かどうかは明確ではないですが、枠組みとして利用可能かどうかを見ていきます。
こちらの解説は、「Rules Of Play : Game Design Fundamentals」(Eric Zimmerman / Katie Salen Tekinbas, 2003)という書籍で解説している内容に準拠したものになっており、システムを「形式的システム」「体験的システム」「文化的システム」の3つに分けており、それぞれ以下のような説明がされています。
システム | システムがもつ共通な性質の説明(内包) | 具体例(外延) |
---|---|---|
形式的システム | なし | チェスのルールそれ自体 |
体験的システム | なし | プレイヤー間のインタラクション、またはプレイヤーの置かれた環境。プレイヤーの戦術的なインタラクション |
文化的システム | なし | この世で行われる全てのチェスのゲームをオブジェクトと見なし、それらプレイの積み重ねが作り出すコンテクストが、時代環境との間に相互に影響を与える様 |
「形式的システム」が、いわゆる「ルール」に相当するようで、これ以外の「体験的システム」「文化的システム」に関しては、ゲームデザインによって生み出される成果物から発生する事象であり、直接デザインされる成果物ではないように見えます。よって、今回の目的として、この枠組そのものからは「ルール」という要素しか取り出せず、上記の「ビデオゲームを構成する3つの要素」の「システム」と対応します。
「ルール」をさらに分解する必要はありますが、ここでは一旦議論を止めて次に進みます。
Graham Dolle さんが「The 7 Elements of Game Design」という記事を公開しています。
タイトルを直訳すると「ゲームデザインの7つの要素」です。
ここで挙げられている要素とその説明を表にしたものが以下のものです。
要素 | 要素がもつ共通な性質の説明(内包) | 具体例(外延) |
---|---|---|
Space(空間) | 変化可能な要素としてのゲーム世界。逆に言えば、変化可能な要素の集まり | チェスにおける駒と盤面 |
Mechanics(メカニクス) | 「空間」を変更または表示するために使われるルールと構造 | 「パックマン」における「ドットに触れると食べる」 |
Implicit Narrative(明示的物語) | デザインされた物語 | 「ウォーキング・デッド」シリーズのストーリー |
Explicit Narrative(暗黙的物語) | ゲーム空間が変化するような一連のエピソードにプレイヤーがどのように反応し、どのように関与するかによって作られる物語 | 「マインクラフト」において、洞窟を見つけた話や、溶岩でいっぱいのゾンビ地獄があった話 |
Feedback(フィードバック) | ゲーム空間の状態の変化に応じて発生するイベント | 銃を撃つときに画面が揺れたり、効果音が鳴る |
Pacing(歩調) | デザイナーによってデザインされた通りにゲーム空間が変化、進行する意図的な一連の流れ | 「マリオ」を通してプレイすると、メカニクスが増えていくにつれて、ステージは難しくなる |
Interface(インターフェース) | ゲーム空間を図示する方法、およびプレイヤーによるメカニクスの実行方法 | アーケードゲーム |
Variety(多様性) |
TODO
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