もう30歳になるおじさん(?)がこんなこと言っても説得力ないけどさ、
プログラミングって、良いよな。って話。
当然の話かな。中間にOSやらなんやらは入るので、もしかしたら無理なことがあるかもしれないが、ほぼ自在に操れるも同然だろう。
むしろ、自在に操れないのなら、OSを作ってしまっても良いだろう。
もはやパーソナルコンピューターさえも自分の融通が利かないというのであれば、ハードから設計してしまってもいいし。
ということで、まずは当たり前のことを当たり前に述べたつもり。
結局コンピューターは計算機なんだ。手計算では骨が折れるようなことも、平気で黙々と超高速でやってくれる。
とはいえ、やっぱり数学がわかってると、もっと早くコンピューターに計算させることもできる。
うん、ここから胡散臭くなってくるんだ、すまない。
そんな計算機というかコンピューターだが、今は演算結果を映像や音にもすることができたり、音を映像にしたり、とりあえず数値化できるものは別の形に置き換えることができる。
たかが数値だと思うかもしれないが、その数値が映像になったり音になったりした時の感動は、プログラミングをやった人なら分かるだろう。
絵も、画材は色々あるが、キャンバスに木炭を擦り付けて、モノのシルエットを描いたり、絵の具を混ぜ合わせたりして別の色が作れるし、色を重ね合わせるだけでも味わいが出る。
音楽も、楽器は色々あるが、弦をピンと張って弾いたら音がなるし、それを半分のところで押さえたりすると別の音がでるし、ましてや音と音を重ね合わせると、また違う味わいを持つ。
一見これらと無縁な数値の世界も、重ね合わせたり混ぜたりすると、それはまた味わいが出るのかと思う。
それで、その良い塩梅を見つけていくのが楽しい。そしてその良い塩梅に共感を感じられると、また楽しいわけで。
だから自己表現としてのプログラミングも、普通にありだと私は思う。
ちょっとアートの話になった、確かにここでのお題はテレビゲームを作る的な意味も入ってるが……、
世界を作れるのだ、それがコンピューターで演算し尽くした仮想環境で閉じてるか、或いは人の感情が入り乱れる実世界で行うか。それだけの違い。
今はありがたいことに、インターネットで海の向こうの人ともコミュニケーションが取れるようになった。
なったけど、秩序があるかどうかはまた別問題で。
なんでもかんでも自由にすると、なぜか人は殴り合いを始めがちであるし、制約がある方が面白いこともある。スポーツが特にそうではなかろうか。
コミュニケーションも何らかの制約があると、また違った味わいがある。140文字以内での投稿や、コメントが残せないとか、誰が読んでくれるか分からないメッセージを流すとか、一度しか読めない手紙をうけとるとか。
そういう、世界に対する自分の求めるコミュニケーション方法を実装するのも、面白いと思う。
Hello world...
の後に続く世界を実装してこうぜプログラミングの決まり文句 Hello world
、
「コンピューターの世界にこんにちは」
と、挨拶しているのである。そしてそれに答えるコンピューターがいる。
Hello world
というワードは、実は僕たちの過ごしている実世界にも言えるのではないだろうか。
生誕した時に限らない。 Hello world
は、いつだって言える。実際、コンピューターでとりあえず知らない言語を触る時は、とりあえず Hello world
で感覚を掴む、その言語の世界の雰囲気を読むと思う。
Hello world
、この言葉の後に何か付け加えても良いのではないだろうか。
あなたなら、なんと付け加えるだろう。
お金儲けのプログラミングも良いと私は思う。でも、せっかくコンピューターで魔法が使えるなら、自分だけの法を作って、世界を作ってしまっても楽しいかもしれないと私は思う。
そんなことを、お金儲けのプログラミングをしつつ、思ったのだった。
Hello world... {ここにあなたの暮らしてみたい世界を入れてください}
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