筆者は認知バイアスないし認知の歪みがかなり強めの人間です。そのため高頻度で論理的に壊滅している部分があるかと思いますが、そこは上手くコメントなどでツッコんでください。
そういう文章が苦手な方はブラウザバック推奨。
価値、クオリティってなんだと論理的に問うノンフィクション。
論理的な考え方をロバートとの旅とその途中のシャトーカで学べるかも。
「どうして僕は皆が悩まないことで悩んでしまうのだろう」
と思う人は読むと何かがみえてくるかも。
ロバート・M・パーシングは、息子クリスと1組の夫妻と共にバイクで旅をしている。
ロバートは朝の脳の準備運動の様に「シャトーカ1」を読者に対して行っている。
その物事の分析方法の解説はじわじわと彼の知り合いのパイドロスの思想についての分析へと踏み込んでいく。
パイドロスは哲学を専攻していたらしく特に「価値・クオリティ」についての探求を行っていた。
ここから先、筆者が本著を読んでの感想をだらだらと。
ロバートのシャトーカに筆者は同感と感銘を覚えた。物事・問題とどうやって対峙し、分解していくのかが
比較的フランクな調子で書かれている。
また、パイドロスが大学で行っていた「評価のない、問を投げかけて議論する」講義は確かに今日日本でも
行われている教育制度へのある種の批判とその代替案と結果、考察としてよくまとまっている。
しかし、そんな彼の講義は大学はもちろん、その他大勢の第三者から認められるのはとても難しく、
さらに受講した学生たちで特に高い評価を「評価制度を設けない講義」以前に得ていた学生には好評であったものの、
成績の低い、ただ学歴や資格を得るために大学に来ている様な学生には不評でもあった。
学生や自身の知識や価値観を再認識し他人に伝え、その批評を受けて更に自己の意見や価値観を洗練させる
この講義には、非常に魅力がある。互いを相乗させて新たな問題を見つけ解くために、思考のナイフを研いでいると
言っても良いのではないかと筆者は思った。
ただ、それまで社会の「価値基準」というものが、ほぼ何かの特定の関心事に対する一次元の評価にとどまっているのが現状である。と筆者は思う。
その単一の関心事に対する一次元の評価に我々は常に心を痛めているし、痛めすぎて自ら命を断つものさえ居るのが今日ではと、やや筆者自身の被害妄想も含んで感じてしまうところではある。
筆者が所持しているものは早川書房から文庫本として出版されたものの三刷である。ただ本著の日本語訳は1990年4月に
(株)めくるまーくから単行本として刊行されたものを文庫化したものであり、さらに原著に至っては1974年に刊行されている。その事実が、筆者には少々心に重くのしかかっている。
だからこそ、筆者自身今後の未来を作っていく人々には、できる限り特定の関心事に対する一次元の評価はしないようにと思い直されられた。
また、この本がきっかけかどうかは定かではないが、
「人々が善悪や価値を定めるに当たって、言葉以前の層でどのように世界を捉えているのか」
の参考になるかと思い、最近数理論理学や記号論理学の本を手にとって、捻出した空き時間に1・2章を読み進めるということをしている。錯誤と言われればそのとおりだろう。
本書を読み進めていくうちに、妙にロバートとパイドロスが同一人物の様に思えてきている筆者が居る。
Web上の他の方の感想記事を読めばそれはすぐに判ってしまうことだろうけど、あえてこの疑問の答えはそれらの情報で確定はさせず、下巻を読み進めることとする。
1 シャトーカ
「ショトーカ」とも言う。Wikipediaの記事では「成人教育運動」と記されているが、ロバートのそれはWikipediaの「最も有名な演説」のそれとは一線を引いたものの印象を筆者は覚えた。
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