私達は、万物から常に学び続ければいけない。
そう思った。
後は「情熱プログラマー/Chad Fowler」や「ハッカーと画家/Paul Graham」とか、それと「ライフロング・キンダーガーテン/ミッチェル・レズニック他」読めば、この記事は TL;DR だ。
おや? 書いてあることは大体察しがつくだろうに、読むのかね。そうか。
悲しいことかもしれないが、これはおそらく事実だ。
若いとなんでも吸収できる。大人が褒めてくれることでも咎めることでも、その子にとって楽しければなおさらだ。
なので27歳の僕なんかは、純粋に物事を楽しめなくなってしまったので、学ぶ対象への興味がなかったら、本当に何も学ぶことができない。
だからといって絶望することはない。大人は大人の強みがある。
「おきかえ」「たとえ」
こういったものが頭の中で容易にできる(やりにくい人もいるが、それは個性だ。そういう人は確実に学ぶ対象の事をはっきりと理解できるだろう)
「人生の全てはTCP/IPに学んだ」はまさにそういう話ではなかろうか。
「人とのコミュニケーションはTCP/IPそっくりだ。むしろTCP/IPが人とのコミュニケーションを参考に作ったのでは」
そんな発想から来たからこそ、あの記事が書けたのではと、私は勝手に思う。
学ぶことを、諦めては行けない。
学ぶことを、止めては行けない。
学ぶことは、楽しければなお良い。
学ぶことで知識の広がりと、共通の概念がおぼろげに見えてくる。
(特にコンピューターサイエンスの世界はそうかもしれない)
知識・教養はその人の個性にもなりうる。
どうせならその知識や教養で自分という人間の振る舞いを学び、変え、彩っていってはどうだろうか。
深くて広い知識と教養を得れば、若い人の考えにもついていけるはずだ。
しかし気をつけなければいけないのは、
「過去に学んだ事に執着しすぎること」
だろうか。
クラスありきのオブジェクト指向でカチカチになった頭で、リアクティブプログラミングを学ぶのは難しいと、私は思う。
固い頭は、理解を妨げる。
固い頭は、ものを尋ねられなくなる。
固い頭は、恥を忍べなくなる。
と思う。
そんなことを、自戒をこめて書いてみただけ。
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