我々は、常に万物から学び続けなければいけない(自戒をこめて)

至極当然の事を言うけれど

私達は、万物から常に学び続ければいけない。
そう思った。

こんな話もある

10年経っても色褪せることは無いだろう記事

たまたまQiitaのタイムラインを眺めてたら見かけた


後は「情熱プログラマー/Chad Fowler」や「ハッカーと画家/Paul Graham」とか、それと「ライフロング・キンダーガーテン/ミッチェル・レズニック他」読めば、この記事は TL;DR だ。

TL;DR

おや? 書いてあることは大体察しがつくだろうに、読むのかね。そうか。

若い(幼い)と吸収は爆速

悲しいことかもしれないが、これはおそらく事実だ。
若いとなんでも吸収できる。大人が褒めてくれることでも咎めることでも、その子にとって楽しければなおさらだ。

なので27歳の僕なんかは、純粋に物事を楽しめなくなってしまったので、学ぶ対象への興味がなかったら、本当に何も学ぶことができない。

歳を取ると「おきかえ」ができる

だからといって絶望することはない。大人は大人の強みがある。

「おきかえ」「たとえ」
こういったものが頭の中で容易にできる(やりにくい人もいるが、それは個性だ。そういう人は確実に学ぶ対象の事をはっきりと理解できるだろう)

「人生の全てはTCP/IPに学んだ」はまさにそういう話ではなかろうか。
「人とのコミュニケーションはTCP/IPそっくりだ。むしろTCP/IPが人とのコミュニケーションを参考に作ったのでは」
そんな発想から来たからこそ、あの記事が書けたのではと、私は勝手に思う。

だからなんやねん

学ぶことを、諦めては行けない。
学ぶことを、止めては行けない。
学ぶことは、楽しければなお良い。

学ぶことで知識の広がりと、共通の概念がおぼろげに見えてくる。
(特にコンピューターサイエンスの世界はそうかもしれない)

知識・教養はその人の個性にもなりうる。
どうせならその知識や教養で自分という人間の振る舞いを学び、変え、彩っていってはどうだろうか。

ジェネレーションギャップも飛び越えられる

深くて広い知識と教養を得れば、若い人の考えにもついていけるはずだ。
しかし気をつけなければいけないのは、
「過去に学んだ事に執着しすぎること」
だろうか。

クラスありきのオブジェクト指向でカチカチになった頭で、リアクティブプログラミングを学ぶのは難しいと、私は思う。

固い頭は、理解を妨げる。
固い頭は、ものを尋ねられなくなる。
固い頭は、恥を忍べなくなる。

と思う。


そんなことを、自戒をこめて書いてみただけ。

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まんじゅ(´ん`)

CoderDojo Sapporo/Sapporo East の駄メンターです。 オープンソースソフトウェア・フリーソフトウェアの布教と、それらを使った創作活動の布教をしています。

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