頭が悪いのでプログラミングしてるんです(カム着火インフェルノォォォォォォォウ)

私自身が嫌悪感を抱く度に過去を無用に反芻し、それらがつもりつもって独りでキレているとは自負するし、こういう事はチラシの裏に書いて着火し、灰になるのを眺めるのが健全で謙虚なプログラマ仕草だろう。

上記の断りも社交辞令でしか書いてない。

これから書く事は「開発者側の発想・エゴ」を、じめじめしてカビ臭くて小ハエが飛び回っている様な部屋で1ヶ月煮詰めた様な話なので、そういうのが不快・不愉快な人はブラウザバックしてもっと有益な時間を使った方が良いに決まってる。ましてやオチも無ければ学びとなる話も無かろう。筆を進めている私自身も書き進める度に、
「そんなに同情されたいんなら、責任・責務を果してから言えクソが」
と、頭の中で悪態を零しながら書いている。

筆者スペック

  • 地方の末端派遣社員も継続できない31歳人間のクズ
  • 現在無職で精神科デイケアと就労移行支援事業所に通所
  • 知性が無いのでなんでもやりたがるし失敗する。そして散財・浪費する

おまえ、本気で俺に「頭が良い」と思ってるの?

よー知らんが、成人してからプログラマであったりパソコン関係でやたらと知見を出してしまうので、
「頭が良いんですね」
と言われる事が多い。大抵は社交辞令なのだろうし、場合によってはその様に煽ててマルチ商法や新興宗教の勧誘に誘い込むのだろう(実際に体験済み)。

むしろ個人の思いとしては以下の様な体験があるため、
「お前それ本気で言ってるのか?」
おこ になる;

  • 空想癖・妄想癖の類いによる頓珍漢な発想や失言を未だにしがち
  • 学生時代の算数・数学は学年で下から2,3番目の成績
  • 授業中に隣の同級生からのチョッカイを無視する事ができずに叱られる事はほぼ毎日
  • 学校の宿題や長期休暇の課題を「家業の手伝い最優先」「やった方が良いのだろうが、やった結果が期待の10分の1程度の成果と技能向上感」なので、ほぼやらない
  • 長期休暇明けの漢字・英単語の暗記テストは合格点を満せずに1ヶ月以上は毎日追試と怒号を浴びる
  • 授業の初めに言われた自習内容を忘れたくせに教員に尋ねに行かなかった事で教員に気合入れ(軟禁による叱責)をうけた

など、挙げればキリの無い「知性皆無な愚者エピソード」はいっぱいある。ましてや家族や高校の同級生も認める程度には「頭がオカしい」タイブの人間ではあるし、自負もしてる。

補足

人によっては上記のエピソードから、
「発達障害じゃん」
と思われたかもしれない。

実際に成人してから精神科に通院治療し、去年の12月に心理検査の結果を頂戴したが、どうもその通りらしい(『ADHD』らしい)。

というのは、心理検査の報告書には明記されていなかったものの、お世話になっている生活相談員さんや就労移行支援事業所の職員さんからの『医師の意見書』や『処方箋の内容』についての情報を聞く限りではそういう事らしいからである。

しかし私個人はそういう診断を得て諦めが付いた安堵と同時に、それまでごく普通な生活を強いられできなければ叱責を受ける日々のおかげか、素直には受け入れられていない。ましてやこの診断を免罪符に、
「ちょっと他人との共感や意思疎通が難しい人型害畜らしいので、許してちょ!」
とは言える訳や道理も無かろう。

「てめぇ発達障害か?」
という罵倒に対する開き直りと自虐のネタとしては積極的に使えるが。

むしろ「頭が悪い・オカしい」から、プログラミングとフリーソフトウェア(ハードウェア)の世界に逃げてきた

見出しでは「逃げてきた」と書いたが、実の所釈然とはしていない。しかし父親は確かに、祖父母は湾曲的にその様に言うのでその通りなのだろうと思う。

「逃げてきた」という事で話を進める。そして何から逃げたのかをあえて明記しておく。

人間 、もしくは 人間の営み のいずれか両方であろう。特に『感情』の部分である。

集団との違和は大抵嘲笑の対象になり、さらに言えば「腕っ節うでっぷしと富・地位・名誉」を重んじられる様なのが田舎である。その為、五体満足で日本語も喋れる様な奴がこんな減らず口を宣いているのは怠慢やサボりだし、それを正当化する言い訳としか言われない。

実際そうなのかもしれないが、31年自分なりにやってきても改善されないのだから、少しは 自分の 腑に落ちる 理屈が欲しいのであろう。

という理由を、昔の私自身は自覚できずただ単に、
「楽しいものを作りたい」
という思いだけでプログラミングを学び初め(しかもできるだけお金を掛けずに)、OSはLinuxのDebianディストリビューションと長く付き合い、果ては自分の使ってるソフトウェアの簡単な部分のコードを読んで不具合の原因を推測するだけの遊びをしたり、
「作れるものなら作ってみよう」
と自作キーボードにも手を出してしまったのではある。

更にはあんなに嫌な思い出のある算数や数学(特に高校数学での集合論に随する辺り。数理論理学も自分の中ではそれ)を興味本位で自分なりに学んでいるので、我ながら妙な話ではある。

それでも「腕っ節と富・地位・名誉」で殴りにくる連中に供えてる事

こういう連中は端から『黙らせる』事しか考えていない。『多様性』の前に『(その集団内での)有用性』を要求してくる。

ましてやこうやって減らず口を叩いてる様な『頭のオカしい奴』は、そのオカしさの原因を怠慢で切り捨てる。

何げ無く過ごしている人々にはそれこそ、
「怠慢だろ。考えろ。意識しろ」
と思うのかもしれないが、少なくとも自分なりに31年人間の姿で暮らす中で以下については自分なりに努力した:

  • 楽しくない勉強を楽しくする方法
  • 時間の使い方(自己啓発本を読み漁ってしまった程度に。しかし自分が使える時間内に期待する成果を出せなかった)
  • (未だにかつ意固地だろうが、この様に)自分なりに表現して、自分が苦手だったり至らない事について思慮する

閑話休題。そういう連中とやり合う為に今足掻くも同然で供えている事としては、

  • 自重トレーニングによる自身の身体の動かし方の確認と鍛錬
  • 感情論に対する数理論理や集合論による解釈の練習
  • 知的好奇心の維持や探求・および私自身の好奇心の根源の解釈

と書いたが、連中からしたら「土俵に上がって込ない時点で逃げてる」のだろう。『心配』と言うが、犬死にさせてでも心配している対象を『正しい者』にしたいのでは無かろうかと歪んで斜めに構えてしまっている。


1 あくまで思慮。熟考と言うには意固地で浅はかと思い抱く。

逃げてしまって今

大抵のフィクションや美談での「敵前逃亡した愚者の末路」の様に、自分も成ってるであろう。
相談支援事業所の助けを借りてデイケアと就労移行支援を利用させてもらっているのではあるが、常時背徳感を覚えているしそれを紛らわす為にデイケアと就労移行支援事業所では何かと企画を立案してしまっている。

そもそも、自分でしっかりと理性を保ち自己を正し、職種を選ばずに働き続ければこんなザマには成らないし、ましてや他者との価値観や世界観の乖離に苦しんだとしても諦めや割り切りができただろうに。とは言葉は容易に並ぶ。

現実としては、いくら自分なりにがむしゃらにやってきても、他者や集団の共有している価値観や世界観と一致していなければ、人間は生きる権利を剥奪されても仕方無いのかもしれない。その人間が五体満足で言葉も喋れるなら尚更である。

この散文の筆者の抱く『世界観』『価値観』

もっと陳腐でバカらしく書いてしまえば ユートピア観 だろうか。確実にこの「自己の中で思い描くユートピア」が他者との乖離に一役、もっとそれ以上にかっているであろう;

  • 互いに気ままな創作行為
  • 創作物によるじゃれ合い喧嘩
  • 創作して表現する権利(それこそ、富・地位・名誉・腕っ節で簡単に奪われないもの)

確かに私は労働は嫌いではある。しかし、労働は経済や社会の持続の為には必要であるし、理由はなにであれ「創作表現ができないが、他人の手足になれるし喜びさえ感じる」人はいるし、そういう人達の喜びを奪うつもりは無い。

とはいえ、
「人間社会を生き抜く為に戯れ言や世迷言よまよいごとを言わないと気が狂うし、実際気が狂ってしまった」
私としては、そういう「遲れてきた自我」なのか「自覚せぬまま過ごした自我」が暴発している上、人の手足になる事が人間とは思えぬ程に出来損なっている。

そして自分の体験から産まれた詭弁とは思うが、
「創作表現ができない人は、何か道具や知識が足りてなかったり、用いる道具や知識を習得する為の階段を踏み外してしまったのでは」
「もしかすると当人の中では最適な道具が思い浮かんでいるけど、当人が持ち合わせている能力や知識だけでは、道具を作ったり表現する事ができない為に、不安や苛立ちを抱いている可能性もあるのでは」
「そして私にとっても都合の悪い事に、当人の表現が伝わらない自分の様なのが居たりもする」
という発想が出てきたりする。逃げているのかもしれないが。

<ruby>〆<rt>しめ</rt></ruby>

この記事を投稿しているサービスが、
「プログラマー、クリエイターが何でも気軽に書けるコミュニティ」
であった事をトイレで用を足して思い出したので、ちゃんとそういう事は書き留めておく:

ダラダラ書いて察しの良い方は、
「あ、リチャードストールマンほどには過激じゃないけど、フリーソフトウェア信者だな」
と思ったであろう。その通りだ。

フリーソフトウェア信者だからこういう意固地な発想に至るのかもしれないし、元々意固地な発想がフリーソフトウェアに触れて強化されてしまったのかはここでは脇に置く。

『パソコン』と書くと高価な印象を与えるかもしれないが、もっと広く「パーソナルなコンピュータ」と書けば、スマートフォンやワンボードコンピュータだってパソコンである。

安価だと処理能力も低いため創作物を作る一手々いっていってにかかる時間も増えてしまうのではあるが、私の様に、
「準備や後片付けの時間が10kmを6km/hで走る事を3回やった後の様に疲れてしまうし、ましてや忘れ物も多い」
という人はむしろパソコン上で創作活動をした方が良い気がしてしまう。

また、パソコンというよりはプログラミングかもしれないが、焦らす者はいない。ただし細かい事にいちいち躓いてしまうため、しょっちゅう製作者に、
「ここはどうしたら良いんです?」
や、
「ちょっと知らない単語がでてきたんですよ」
または、
「書かれた通りにやりました(製作者の思った通りとは言っていない)!」
という面倒臭いしウルサい道具なのではあるが、私の様な、
「他人に不信感を抱き安く、不信感が限界になると喋らないので仕事の確認もできない」
様な人型害畜の相手をするよりは大分マシと思う。

更に今日では『図書館』という「調べもののプロフェッショナルが居る知識の宝庫」や『オープンソース・フリーソフトウェア』という「具体例の宝庫」があるので、パソコン上の道具で気になる事があれば、腑に落ちるまで中身を覗いたり、せっかくなら自分の都合良く改造して使ってしまって良い(ここではその際の著作権・ライセンスの話は省く)。

パソコン上で無くても良いのではあるが、創作って楽しい地獄なんでな……つい深く入っちゃうんよ。

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まんじゅ(´ん`)

CoderDojo Sapporo/Sapporo East の駄メンターです。 オープンソースソフトウェア・フリーソフトウェアの布教と、それらを使った創作活動の布教をしています。

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